Scrapbook! by 愛書家日誌

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中島敦 ー 早逝した小説家の意外な実像

中島敦は1909年5月5日に東京で生まれた日本の小説家です。33年の短い生涯でしたが、教科書にも採用された『山月記』他、漢文の素養をいかした文体で書かれた独特の作品を残しています。写真から想像する生真面目な印象とはちょっと違う実像だったようです。

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学生時代に熱烈な恋愛結婚

東京大学に入学した頃の敦は麻雀荘やダンスホールに入り浸る生活を送っていました。麻雀荘の店員だったタカに熱烈なラブレターを送って恋仲になり、タカは妊娠します。在学中の24歳で結婚しますが、しばらくは同居も入籍もせず、タカは実家で出産しました。後に母子を迎え入れると子煩悩ぶりを発揮したそうです。

女子校の人気教師だった

大学を卒業した敦は1933年4月に私立横浜高等女学校(現横浜学園高等学校)に国語と英語の教師として赴任します。山岳部を引率したり、学校関係の会誌の編集なども行うなど活発に活動し、人気の教師でした。後に持病の喘息が悪化し、休職のあと8年ほどで辞職しました。

パラオへ赴任する

南方の気候が持病によいと考えた敦は、政府の命を受けてパラオ南洋庁へ教科書編纂のために赴任します。現地の経験をもとに南洋の島々を舞台にした小説を執筆しています。

愛称は「とん」

パラオに先に赴任していた、後に日本のゴーギャンと呼ばれる土方久功(ひじかたひさかつ)によると敦のあだなは「とん」だったそうです。土方は敦を「とんちゃん」と呼んで親しみ現地の案内役などを買って出ました。

土方久功正伝―日本のゴーギャンと呼ばれた男

土方久功正伝―日本のゴーギャンと呼ばれた男

作家活動は数ヶ月だった

『山月記』が深田久弥の推薦によりで42年2月の『文学界』に掲載され敦は文壇にデビューします。3月には戦争の激化により土方久功とともに帰国します。以後、作家活動に専念し、同じく『文學界』に発表された『光と風と夢』は芥川賞候補になりますが、敦は喘息の悪化により12月に亡くなってしまいました。文壇の期待も大きかっただけにその死は多くの方に惜しまれました。

李陵・山月記

李陵・山月記

中島敦をテーマにした漫画作品

よちよち文藝部 / 久世番子

文豪コミックエッセイ『よちよち文藝部』では太宰や漱石と並んで中島敦も取り上げられています。

よちよち文藝部

よちよち文藝部

有名すぎる文学作品をだいたい10ページくらいの漫画で読む。 / ドリヤス工場