中島敦は1909年5月5日に東京で生まれた日本の小説家です。33年の短い生涯でしたが、教科書にも採用された『山月記』他、漢文の素養をいかした文体で書かれた独特の作品を残しています。写真から想像する生真面目な印象とはちょっと違う実像だったようです。
目次:
学生時代に熱烈な恋愛結婚
東京大学に入学した頃の敦は麻雀荘やダンスホールに入り浸る生活を送っていました。麻雀荘の店員だったタカに熱烈なラブレターを送って恋仲になり、タカは妊娠します。在学中の24歳で結婚しますが、しばらくは同居も入籍もせず、タカは実家で出産しました。後に母子を迎え入れると子煩悩ぶりを発揮したそうです。
中島敦が24歳で結婚した妻タカです。出会いは麻雀荘で中島は東京帝国大学の二年生、タカは麻雀荘で働いている女性従業員でした。後に女子校教師をしている頃、結婚していることや大きな子供がいることを同僚に驚かれたそうです。 pic.twitter.com/sEBTVYdBkf
— 愛書家日誌 (@aishokyo) 2016年5月5日
女子校の人気教師だった
大学を卒業した敦は1933年4月に私立横浜高等女学校(現横浜学園高等学校)に国語と英語の教師として赴任します。山岳部を引率したり、学校関係の会誌の編集なども行うなど活発に活動し、人気の教師でした。後に持病の喘息が悪化し、休職のあと8年ほどで辞職しました。
中島敦は原節子も通った横浜発の女学校、横浜高等女学校で8年間国語の教師として勤務していました。明るく人気のある教師だったようです。写真は雑誌部の新年会(1937)です。https://t.co/hQU2HRN4tu pic.twitter.com/VfoFGborJq
— 愛書家日誌 (@aishokyo) 2016年5月5日
パラオへ赴任する
南方の気候が持病によいと考えた敦は、政府の命を受けてパラオ南洋庁へ教科書編纂のために赴任します。現地の経験をもとに南洋の島々を舞台にした小説を執筆しています。
愛称は「とん」
パラオに先に赴任していた、後に日本のゴーギャンと呼ばれる土方久功(ひじかたひさかつ)によると敦のあだなは「とん」だったそうです。土方は敦を「とんちゃん」と呼んで親しみ現地の案内役などを買って出ました。
- 作者: 清水久夫
- 出版社/メーカー: 東宣出版
- 発売日: 2017/01
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
作家活動は数ヶ月だった
『山月記』が深田久弥の推薦によりで42年2月の『文学界』に掲載され敦は文壇にデビューします。3月には戦争の激化により土方久功とともに帰国します。以後、作家活動に専念し、同じく『文學界』に発表された『光と風と夢』は芥川賞候補になりますが、敦は喘息の悪化により12月に亡くなってしまいました。文壇の期待も大きかっただけにその死は多くの方に惜しまれました。
- 作者: 中島敦
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2013/07/01
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
中島敦をテーマにした漫画作品
よちよち文藝部 / 久世番子
文豪コミックエッセイ『よちよち文藝部』では太宰や漱石と並んで中島敦も取り上げられています。
- 作者: 久世番子
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2012/10
- メディア: コミック
- 購入: 1人 クリック: 13回
- この商品を含むブログ (16件) を見る
有名すぎる文学作品をだいたい10ページくらいの漫画で読む。 / ドリヤス工場
ドリヤス工場の「有名すぎる文学作品をだいたい10ページくらいの漫画で読む。」には中島敦の「山月記」も入っています。https://t.co/gtQSkdyJjG pic.twitter.com/YTQcV1y1XV
— 愛書家日誌 (@aishokyo) 2016年5月5日